大阪地方裁判所 昭和36年(ワ)1988号 判決 1963年12月12日
原告 下条途失
被告 斎藤貢 外一名
主文
一、被告らは、原告に対し、各自一六万九八九三円ならびに右内金一〇万円に対しては昭和三五年一月二四日から、同九六〇〇円に対しては同年二月一五日から、同一万五二〇〇円に対しては同年二月二九日から、同一万二四〇〇円に対しては同年三月三一日から、同二万九九二〇円に対しては同年四月三〇日から、同二七七三円に対しては同年九月一六日からそれぞれ右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、これを五分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。
四、この判決は、原告において被告らに対し各四万円の担保を供するときは、第一項に限り、当該被告に対して仮に執行することができる。
事実
原告代理人は、「被告らは、原告に対し各自一一九万九七六三円およびこれに対する昭和三五年一月二四日から右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、
「一、被告稲毛久雄は、陸上運送業を営む被告斎藤貢に雇われ貨物自動車の運転に従事していた者であるが、昭和三五年一月二三日午前一〇時頃、被告斎藤の用務で同被告が保有する三輪貨物自動車(大六な四九三一号)に大和燃料株式会社依頼の石炭約一トン半を積載して、これを西区本田三番丁から西成区津守町方面に運送するため、右貨物自動車を運転して、西区本田町二丁目三三番地先道路を西から東に向い、時速約一五キロメートルで進行中助手席に同乗させていた右大和燃料株式会社の人夫と話しこんで前方注視義務を怠つていたため、当時満三才の幼児であつた原告が同所道路をゆつくり一人で歩いているのに気付かず慢然進行し、原告を発見して急ブレーキをかけて停車しようとしたときはすでにおそく、原告を同車の左側後車輪に接触させて路上に転倒させ、原告に対し、右第四趾骨蹠骨折、右足背第二、三、四趾挫創兼第二、三四趾蹠骨骨折、右第一趾第二趾間裂創、右下腿挫創の傷害を負わせた。
二、本件事故による原告の右受傷は、前記のとおり、被告稲毛が貨物自動車の運転中、その運転者に要求されている前方注視義務を怠つた過失に基くものであるから、民法七〇九条により、また被告斎藤は、被告稲毛が、被告斎藤の被用者として同被告の業務執行のため右貨物自動車を運転していたものであるから、被告稲毛の使用者として、民法七一五条により、および自己の所有する右貨物自動車を自己のため運行の用に供した者として、自動車損害賠償保障法三条により、原告が右受傷により蒙つた次の損害を賠償すべき責任を有する。
三(一) 原告は、右受傷後直ちに大阪市内の長堀病院に入院し、同年二月一五日まで入院治療を受けた。
その間原告の母下条美知子は、薬剤の業務を放てきして付添人の訴外松下摂子とともに原告の看護に没頭させられ、その間原告一家の家事手伝いのため臨時家政婦として訴外古川幸子を雇うことを余儀なくさせられた。原告は、右二月一五日退院後、同月一六日から同年四月三〇日までの間通院治療を受けたが、結局、右足の第四趾のみは辛うじて趾の脱落を免がれたが、第二、第三趾は壊疽に陥つて趾全体が脱落するにいたり、そのうえ、右足上背裂傷部がケロイド状となり、腱が切れているため内飜足を呈するにいたり、寒中には疼痛が激しく、履物もはけず、跛行となつて転倒しやすく歩行は困難となつたが、右は生涯治癒の見込みがない状態である。
(二) 右受傷により原告の受けた損害は、次のとおりである。
1 昭和三五年二月一六日から同年四月三〇日までの長堀病院通院処置料計二七七三円
2 同期間中の通院日数六四日間の通院のための交通費一往復当り二八〇円計一万七九二〇円
3 同年一月二三日から同年四月三〇日までの九九日間の附添看護料一日当り四〇〇円計三万九六〇〇円
4 同年一月二三日から同年二月一五日までの二四日間の家政婦料一日当り四〇〇円計九六〇〇円
5 肉体的精神的苦痛に対する慰藉料一〇〇万円
6 原告は、本件事故当時満三才(昭年三一年六月五日生れ)であつたが、生後発育が極めて良好で、身心とも健全であつたから、少くとも六〇才くらいまでは生存し、父が医業、母が薬剤業を営んできた下条家の一員として、二六才から六〇才までの少くとも三四年間は、医業に従事しうるものと考えられるところ、その間一ヵ月平均少くとも五万円の収入を挙げられることは下条家の実績よりみて明らかであるが、競争の激しい医師の業務に従事するにあたり、前記のとおり本件受傷により毎年寒中の疼痛はげしく、生涯跛行で歩行困難な状態において急患への応診などの際に、最も必要な敏速さと積極さを欠き、少くとも右収入の一割に当る毎月五〇〇〇円の減収を来すであろうことは明らかである。したがつて、右三四年間については合計二〇四万円の得べかりし利益を失うことになるが、この金額を五七年後に一時に支払われるものとして、年五分の中間利息を控除し現在額に換算すると、五二万九八七〇円となる。
四、よつて、原告は、被告らに対し、前記三の(二)の1ないし4および6の財産上の損害の合計五九万九七六三円および同5の精神的損害一〇〇万円のうちとりあえず六〇万円を合算した一一九万九七六三円ならびにこれに対する遅延損害金として、本件事故発生の日の翌日である昭和三五年一月二四日から右支払いずみに至るまで、年五分の割合による金員の支払を求めるため本訴に及んだ。」
と述べ、被告らの抗弁に対し、
「被告ら主張の事実は否認する。」
と答えた。(立証省略)
被告代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、
「一、原告主張の一の事実中、被告斎藤が同稲毛の使用者で、陸上運送業を営んでいたこと、被告稲毛が原告主張の三輪貨物自動車を運転中、原告主張の日時場所において、本件事故の発生をみたこと、当時同被告は、右自動車を時速約一五キロメートルで運転していたこと、以上の各事実は認めるがその余の事実は争う。
同二、の事実中、本件事故が被告稲毛の右自動車運転中に生じたものであることは認めるが、その余の事実はすべて争う。本件事故当時被告稲毛が運転していた右自動車は、被告斎藤の父訴外斎藤宗次郎が所有し同訴外人が自家用として登録使用していたものであるが、当日たまたま被告斎藤の営業用車が故障であつたため、被告稲毛は、被告斎藤および同訴外人に無断で右自動車を借用運転中、本件事故の発生をみたものであるから、被告斎藤は、本件事故による原告の受傷につき被告稲毛の使用者としての、あるいは右自動車の保有者としての責任を問われる立場にはない。
同三、の事実中、原告が本件事故当時満三才の幼児であつたこと、原告の父が医師であり、その母が薬剤師であること、以上の事実は認めるが、その余の事実は、すべて争う。」
と答え、抗弁として、
「一、本件事故は、原告の一方的な過失のみによつて生じたものである。すなわち、原告は、本件事故の直前、玄関口から外へ飛び出して来たところ、そこに犬がおり、犬の嫌いな原告は、恐怖の念に馳られ、その犬を注視しつつ前方を見ないで本件事故現場にいたる坂をかなりの速さで馳け下りて来て、被告稲毛の運転する右自動車が進行して来るのに気付かず、前方を注視中の同被告には見えない同車の左後輪の直前部に突如右足を突込んだものであるから、同被告としては、如何ともすることができなかつたのである。
二、かりに、被告稲毛に過失があつたとしても、原告の父は内科、小児科、放射線科の医師であり、母は薬剤を業としながら、看護婦や女中をおくことなく、当時満三才の原告が交通のひんぱんな街路で遊ぶことを放任していたもので、右は原告に対する監護上の重過失であり、これが本件事故発生の原因となつているから、これを原告側の過失として、本件損害額の算定につき斟酌されなければならない。」
と述べた。(立証省略)
理由
一、被告稲毛が原告代理人主張の三輪貨物自動車を運転中、原告代理人主張の日時場所において、右自動車を原告に接触させたことについては、当事者間に争いがなく、右事故により原告が右第四趾蹠骨骨折、右足背第二、第三、四、趾挫創兼第二、三、四趾蹠骨骨折、右第一趾第二趾間裂創、右下腿挫創の傷害を受けたことは、原告法定代理人下条信の供述およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証によつて認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。
二、そこで、まず、右事故が被告稲毛の過失によつて生じたものであるかどうかについて検討するに、成立に争いのない乙第一ないし四号証ならびに証人北島正章の証言ならびに検証および被告稲毛本人尋問の各結果を総合すると、本件事故現場は、中央に市電の軌道があり、その両側が車道となつている東西に通ずる道路のうち、市電軌道の北側の巾員六、〇メートル、アスフアルト舗装の車道であつて、前方の見透しの良好な直線部分であるところ、原告稲毛は、前記三輪自動車の左側座席に訴外北島正章を同乗させ、荷台に石炭を積み毎時約一五キロメートルの速度で西から東方向に、本件事故現場へ進行してきたが、左前方に対する注視を全く欠いたままの状態で進行を続けたため、右車道の北側から東北方角に分岐している道路から本件事故現場の車道へ出て来た当時満三才の幼児であつた原告の存在に気ずかず、右三輪貨物自動車の左後輪で、原告の右足背を轢過したものであることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。ところで被告ら代理人は、原告が右分岐道路から車道へ馳け下り来て、右自動車の進行して来るのに気付かず、前方を注視中の被告稲毛には見えない同車の左後輪の直前部へ突如足を突込んだものであるから、同被告において施す処置がなかつた旨主張するけれども、右自動車の助手席に同乗の訴外北島正章が本件事故現場のかなり手前の地点において、右分岐道路から車道の方へ歩いて来る原告の存在に気付いていたことは、右北島証人の証言によつて認められるのであるから、同被告が自動車運転者に要求される左右前方への注視義務を遵守しておれば、当然本件事故現場のかなり手前の地点において、原告の存在を発見出来、その動静に応じて警音器を鳴らして自車の進行を原告に知らせるなり、何時でも避譲あるいは停車の措置を講じうるために徐行するなりして、本件事故の発生を未然に防止できたものと考えられるから、右注意義務を怠つて不注意にも漫然運転を継続した結果、本件事故を惹き起した同被告に、右自動車運転上の過失があつたものと認めなければならず、したがつて、同被告は、民法七〇九条により右事故で原告が蒙つた損害を賠償しなければならない。
三、つぎに、被告稲毛が陸上運送業を営んでいる被告斎藤に貨物自動車の運転手として雇われている者であることは、当事者間に争いがなく、また、前顕乙第二ないし三号証ならびに証人北島正章の証言ならびに被告稲毛および同斎藤各本人尋問の結果を総合すると、被告稲毛は、同斎藤あて訴外大和燃料株式会社の依頼により、被告斎藤の運送業務の執行として、前記三輪貨物自動車で石炭約一トン半を運送中、本件事故を惹き起したものであることが認められるから、被告斎藤は、同稲毛の使用者として民法七一五条により、右事故で原告が蒙つた損害を賠償しなければならない。(なお、右被告両名本人尋問の各結果によると、被告稲毛が同斎藤の右業務執行に用いた前記三輪貨物自動車は、訴外斎藤宗次郎所有のもので、被告稲毛は、当時同斎藤所有の自動車が故障していて使用できなかつたため、同斎藤および同訴外人に無断で前記三輪自動車を利用したものであることが認められるようであるけれども、かかる事情が前記認定の被告斎藤の責任に何ら影響を及ぼすものでないことは明らかである。)
三、そこで、原告の蒙つた損害について判断する。
(一) 原告法定代理人下条信の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第八号証ならびに証人松下摂子、同古川幸子の各証言ならびに原告法定代理人両名の各供述を総合するに、原告は、本件事故による前記認定の負傷のため、事故当日の昭和三五年一月二三日から同年二月一五日までの間は大阪市内の長堀病院で入院治療を、同月一六日から同年四月三〇日までの間には同病院で通院治療をそれぞれ受け、右原告の治療期間中は付添看護婦一人を、また右原告の入院期間中は原告の母親が病院に出向いて原告の看護に没頭して、夫の医業の手伝いや自己の薬剤の業務はもとより家事にも従事できなかつたため家政婦一名をそれぞれ必要としそのため原告の親権者父下条信は、(一)右通院処置料として二七七三円(二)右通院のための交通費として一万七九二〇円(三)付添看護婦への給料として三万九六〇〇円(四)家政婦への給料九六〇〇円の各支出を余儀なくさせられたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。
しかして、原告の入院中、付添看護婦のほかに原告の母も病院に出向き原告の看護に没頭したために必要となつた右(四)の家政婦料も前記認定の原告の年令および受傷程度を考えると、他の項目の出費と同様、通常必要とされる経費と認められるから、右原告の親権者父の支出した費用総額六万九八九三円をもつて原告が蒙つた通常の有形的損害というべきである。
(二) 次に、原告は、本件事故による負傷の結果生じた運動能力の低下によつて、将来開業医となつたときに収入が減少するものと予想し、これを得べかりし利益の喪失による損害と主張しているところ、鑑定人折原正美の鑑定結果ならびに原告法定代理人両名の各供述を総合すると、本件事故によつて前記認定の傷害を受けた原告の右足は、その後、第二、第三趾が第一趾節部より脱落欠損し、足背部および足底部には第二趾の残存部末端から、第一第二中足間部の領域にいたる長さ約八センチメートルの線状の瘢痕を残すとともに、軽度の内飜足を呈し、この足背部および足底部の線状瘢痕部には圧痛はなく、第二、第三趾の断端部に軽度の圧痛があること、一般に第二、第三趾の欠損によつて、下駄や草履などの履物の使用は不可能であるが、足の機能の殆んどを占める静止立位時および歩行ないし運動時の荷重の点については、第二、第三趾はその余の趾と比較して重要性が劣つているため、その欠損によつて静止の起立時における荷重についてはほとんど関係がなく、平担地における正常な歩行にもさして不便を感じさせないものであるが、ただ、歩行距離が延びるにつれ、正常足に比較して疲労度が大きくなり、凹凸の著しい道や山道の歩行、階段の昇降に困難を感じ、疾走や跳躍等の運動にもある程度の支障があるものと認められるところ、現に、原告は寒さによる傷の痛みを訴え、軽度の跛行で、親から見てよく転びはするというものの、歩るくことによつて傷跡が痛む様子はなく走ることもできる状態にあることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。
そうすると、原告が、将来開業医となつた暁に、右認定の程度の足の不自由によつてとくに大きな支障を受けるものとは考えることができないのみならず、そもそも本件事故当時満三才(現在満七才)の原告が、その両親が医師ないし薬剤師であり(以上の各事実については当事者間に争いがない)、本件事故当時原告には心身に欠陥がなかつた(このことは、原告法定代理人両名の供述によつて認められる)からといつて、将来開業医になるものと推認すること自体困難であるから、原告が将来開業医となつて得るべき収入とその減少額を推認算定するに由ないものといわなければならない。
(三) しかしながら、原告が右受傷により直接苦痛を受けたことはもとより、前認定の右足の第二、第三趾の喪失により、生涯ある程度の日常生活上の不自由を余儀なくさせられることは、容易に推認しうるところであるから、被告らが再三原告を見舞い、入院治療費の全額三万四三一円を負担していることその他当事者双方の年令、経済事情等本件口頭弁論に現われた諸般の事情を考慮して、原告に対する慰藉料としては、一〇万円をもつて相当と認める。
(四) なお、被告らは、本件事故の発生については、幼児の原告を交通の激しい表通りへ単独で出した原告の両親の過失もまた原因となつていることを理由に過失相殺の主張をしているところ、前顕乙第一号証ならびに検証の結果ならびに原告法定代理人両名の各供述を総合すると、本件事故現場の車道では自動車の通行が比較的多いが、原告居住の家屋と右車道との間には、車道から分岐している交通量の少い巾員三、六〇メートルの道路があつて、ここが付近の子供等の戸外での遊び場所となつており、原告の両親も同所が比較的安全な場所であるため、ここで原告が遊ぶことを許し、随時同所に面している窓を通して屋内から同所で遊んでいる原告の様子に注意するとともに、平素から原告に対し右分岐道路から車道に出ることのないよう言いきかせていたため、かつて原告がひとりで右車道に出たようなことはなかつたこと、そして、本件事故当時も右分岐道路で遊んでいた原告は、一旦自宅に戻つて母親からおやつのみかんを貰い、これを手に持つて再び外に出、右道路と車道との分岐点付近で立ち止まつたので前記の窓を通じ屋内から原告のこの様子を見とどけた原告の母は、原告が同所から車道へ出ることなく、同所付近の右分岐道路上で遊ぶものと考え、窓から離れた直後、原告はひとりで車道へ出、折から右車道を前方注視を怠つて進行して来た被告稲毛の運転する前記三輪貨物自動車に出合わせ、本件事故の発生をみたことが認められ、右認定に反する被告斎藤貢本人尋問の結果は措信せず、他に右認定に反する証拠はない。以上の事実を考え併せると、原告が本件事故発生当時右分岐道から車道に出ていたとしても、原告の両親において原告の保護監督の点につき特にとり上げてとがめ立てすべき不注意があつたものとはいえないであろう。そして、この点についての判断は、被告らの主張のとおり、原告の両親が裕福で、女中などを雇い、原告の観護をより完全に行いうる境遇にある(このことは、原告法定代理人本人両名の供述により認められる。)ものであることによつて、とくに消長を来すものではないから、右被告らの過失相殺の主張は、理由がないといわなければならない。
四、結局、被告らは、各自、原告に対し、財産上の損害額六万九八九三円および慰藉料一〇万ならびにこれに対する遅延損害金を支払うべき義務があるところ、原告代理人は、右遅延損害金として求める民事法定利率による年五分の割合による金員の起算日を一律に本件不法行為の日の翌日において主張しているけれども、原告法定代理人下条信の供述により真正に成立したものと認められる甲第六号証ならびに証人松下摂子、同古川幸子の各証言ならびに原告法定代理人両名の各供述によると、原告の右財産上の損害のうち、通院処置料二七七三円は、昭和三五年九月一六日に、通院のための交通費一万七九二〇円は、おそくとも通院の最終日である同年四月三〇日までに、附添看護料三万九六〇〇円中一万五二〇〇円は、同年二月二九日に一万二四〇〇円は、同年三月三一日に、一万二〇〇〇円は、同年四月三〇日に、家政婦料九六〇〇円は、同年二月一五日にそれぞれ支払われたものであることが明らかであるから、右各金員に対する遅延損害金は、右支出の日から、起算し、右支払いずみに至るまでそれぞれ民事法定利率による年五分の割合により定めなければならない。
五、以上の次第であるから、原告の本訴請求中、被告らに対し各自一六万九八九三円ならびにこれに対する遅延損害金として、内金一〇万円(慰藉料)については、本件不法行為の日の翌日である昭和三五年一月二四日から、同九六〇〇円については前示同年二月一五日から、同一万五二〇〇円については前示同年二月二九日から、同一万二四〇〇円については前示同年三月三一日から、同二万九九二〇円については、前示同年四月三〇日から、同二七七三円については前示同年九月一六日からそれぞれ右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度においては理由があるから、これを認容すべきであり、その余は理由がないからこれを棄却すべきである。
よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 井上清)